BodyTalkのことや日々のなんてことないことを綴ってみます。

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私が母のことを許せるようになったのは、割と最近の事です。


「絶対に許せない!許せない!許せない!」

そんな思いを抱いて日々過ごしているのは、自分にとっても負担となっていましたが、
でもずっーーーっと、許せなかった。


ボディートークに出会い、かなり意識が変わっても、
自分にとって嫌な思いを与える人は、自分に何か学びをくれる 悪の演じ手なのだ、とどこかで見聞きしても、
ボディートークのセミナーでシルビア先生から、「許す」ということを教えるために
神様が地上に送った天使の話を聞いたものの!

そうかぁ〜、、母は自ら憎まれ役になってくれてるだけで、本当は天使なのかぁ…


と、その時は頭で思うものの…

やっぱり無理だった。 怒りは治まらず、許せなかった。


ボディートークでいうところの「活発な記憶」の数々。 世間一般ではトラウマというのかしら。


力による暴力こそあまりなかったものの、精神的な虐待の数々。

家の中は毎日、母のしかめ面と「ん!もぅ!」という癇癪の声、愚痴や悪口、
私が どんなにろくでなしで、どんなに勉強もスポーツも出来なくて、どんなに友達から嫌われているか、
「あんたは本当にしょうがない!」と舌打ちとともに言われ、更に軽い性的虐待の中で、私は育ちました。


大人になった私は 劣等感の塊、
自分には価値がなく、何も人に喜ばれるようなことは出来なくて、
自分はどこに行っても誰にも愛されないどころか、煙たがられる存在だと思っていました。


何であんなことしたのよ!
何であんなこと言ったのよ!
よくもこんな「ザ・ダメ人間 の作り方」のお手本みたいな育て方してくれたわね!

許せない!許せない!許せない!


***


今から約2年前のセミナーのワークショップで、シルビア先生にしてもらった公開セッションで、
母に関することの 活発な記憶が出て来た。

それまでにもずっと、ボディートークのセッションは受けていたのだけど、
母の事が出て来たのは その時が初めてだった。


大勢のボディートーカーという観察者も居たため、すごく強力なセッションで、
その後しばらく放心状態になったほどのシフトが起きた。
ついでに言えば、私のインネイトは 前日の夜から 翌日に大きな変化が訪れる事がわかっていたようで、
心臓がドキドキして眠れなかった。


やっと、母に植え付けられたトラウマから解放される・・・!
今までセッションで出て来なかったけど、やっと今、そこにたどり着く準備が出来たんだ・・・!
嬉しい・・・・!


だが、結果、
やはり まだ許せていなかった。

あんなに強力なセッションしてもらったのにも関わらず、何でまだ・・!?



***


ところが その2ヶ月後、それは いとも簡単に剥がれた。

まるで時期が来て、かさぶたが ポロン と剥がれ落ちるように。




やっぱり きっかけは ボディートークだった。


その時のセッションで出てきたのは、家系的なカルマの連鎖 みたいなものだった。


ふーーん、、、 と思っていると、 ふと、施術者が言った。

「お母様も ( 私と ) 同じ目に遭っていたのかもしれない」


…そうかもしれない。

その瞬間、その一言で なにかが私からポロリと外れたのだ。


母が私に あぁしたのは、仕方のなかったことなんだ。 と、本当にそう思った。



こうして文字にして書いても、なんでそれで 長年抱え続けていたトラウマが外れることになるのか、
全く理解出来ないと思いますが、

きっと、私の傷が徐々に癒えて、
母のことを解放する準備が この時 出来たのでしょう。



*****


もしも、同じような思いをお持ちの方が ここを見ているとしたら、

私が伝えたいのは、


許したくても許せないこと(人)がある、 努力しても許せない時、

それは、まだご自身の 許す準備が整っていないという事なのかなー と思います。


それらを解放するには、まず自分自身の 傷を負ってしまった心と体が癒されて、
そして初めて人を許せるのかな と思っています。


怒りのエネルギー抱え続けるのは、自身にとっても心や体の大きな負担ですからね…


まずは、自分を癒しましょう。
















つづく







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【北野祐子が出来るまで】
はじめに

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2014.02.11 / Top↑
26歳のある秋の日、会社で仕事中に 総務部から私宛の外線電話が転送されてきました。

埼玉県の郊外にある病院のICUからでした。

父が高所から落ちて、救急車で運ばれた。全身を打って、
体が動かない。直ぐに病院にきて欲しい。
という連絡でした。
輸血や手術をするのに、家族の同意書が必要なのです。

病院の住所を聞き、メモを取り、すぐに駆けつけることにしました。
メモを取る手が震えました。

父は当時61歳、定年退職後、埼玉県飯能市の工場に単身赴任をし
働いていたのですが、
この日は、何か調子の悪いタンクの様子を見ようと、
設置されている高さ6mの梯子に登ったところ、その梯子がタンクから
ポロリと剥がれ、コンクリートの地面に落下してしまったのです。
幸いヘルメットを被っていたので、頭は打たずに済んだのですが、
脊椎6番を骨折し、折れた骨が脊髄に刺さり神経を遮断する状態に
なってしまいました。

この日は母も家を留守にしており、私の勤務先を父から聞いていた
父の会社の人の記憶を頼りに、私の勤務先へ連絡が入ったのでした。

どんなに気持ちが急いでも、都内から埼玉県の郊外まで
電車を乗り継ぐこと数時間。
これが何かの間違いであって欲しいと願いながら、病院に向かいました。


***

実は時を遡ること、さらに7年前、弟がバイト帰りの深夜に、
交通事故で大怪我をしました。
救急車で運ばれた先の病院に駆けつけると、弟の左腕は動かず、
痛みにうなされていました。
そしてその翌日、どうやら思ったより状態は深刻そうだという事で、
大きな病院で検査をし、その結果、弟の腕はもう元に戻らないことを
知りました。
左腕の神経が、頸椎6番から切れて抜けてしまっていたのです。

私の20歳の誕生日の事でした。

その後、弟は数年に渡り入退院を繰り返す生活をしていましたが、
父が怪我をしたこの日も、弟は何度目かの手術の為入院中でした。

***


埼玉の病院に着くと、医師からレントゲン写真と共に、怪我の状態の
説明がありました。
折れた骨が杭のように脊椎に突き刺さっていました。

もうこれは治すことができない、胸から下は動かない感覚もない、
これから緊急手術、そしてリハビリ、退院後は車椅子の生活を
余儀なくされることを説明されました。


・・・一気に受け止め切れませんでした。


手術室に入る前の父と面会すると、
「お〜ぅ、仕事中だったろ?悪いな!
今、体が動かんのだよ、これから手術してもらうな!
車イスになったら嫌だもんな。」
と、ニコニコしながら言いました。
まだ自分がそんなに大変な怪我をしたと思っていないのです。
・・泣けました。

手術が終わったのは深夜。12時間以上に渡る大手術でした。


本当に怖かったです。

何でうちの家ばかり、こんなことが起きてしまうのかって。
何で4人家族のうちの2人が、同じような怪我をして身体障害者に
なってしまうのかって。


それから数ヶ月に渡りリハビリ、そしてリハビリの病院に転院し、
また数ヶ月のリハビリ、
その間に実家はエレベーター付きのバリアフリーの家に建て替え、
翌年の秋に、父は家に帰ってきました。


時間はかかりましたが、その間に 父本人も、家族も、少しずつ
状況を受け入れていきました。

そうなってしまったものは変えられない、悲しんでいても
仕方が無い、 それを受け入れて暮らして行く。

人間って結構強いものですね。

怪我をした当初はそんな事考えられなかったのですが、
のんびりとした穏やかな生活が始まりました。



つづく







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【北野祐子が出来るまで】
はじめに


2013.11.02 / Top↑
ちょっと間があきましたが、まだこのシリーズ続けます。



***********

婦人科通い

25歳前後の1〜2年の間にショックなことが続いたせいか、
26歳にして生理が止まってしまいました。

おかしな事だとわかっていながら、なかなか婦人科には行く気にならず
しばらく放置していたのですが、1年経っても全く治る気配がないので
思い腰をあげて、やっと婦人科に行きました。

検査の結果、卵巣からのホルモンが出ていない(=無排卵)と言われ
カルテには「卵巣機能不全」と書かれていました。

そこから婦人科通いの始まりです。


毎朝、基礎体温を測り、グラフに記入し、それを持って
月に何度か 要所要所で通院するのです。

「月経リズムを作り、体に覚えさせる」という治療法で、
まずは、注射を打ち 無理矢理 月経を起こさせた後、sexiopidという
排卵誘発剤を5日間飲んで 排卵させる、という事が行われました。

が、数ヶ月続けても、この薬では私は排卵しなかった為、
今度はクロミッドという排卵誘発剤が処方されました。

何周期かこれを繰り返し、排卵はするようになったのですが、
今度は、排卵しても高温期が続かないのです。
排卵後3日で 月経が始まってしまいます。

診察中に覗き見たカルテには「黄体機能不全」という記述が加わっていました。

高温期を長引かせるために、今度は排卵後、上腕やお尻にホルモン剤を注射され、
名前は忘れましたが、併せて飲み薬も服用しました。

こうして薬で人工的に、月経 ー 排卵 ー 高温期 ー 月経 の周期を作り、
これを3クール繰り返した所で、一度 薬を止め、
そして、体がこのリズムを覚えて、自力で排卵が出来るかを
チェックしてみるのです。

私はこれがなかなかうまく行かず、またスタートに戻り
薬での人口的なサイクル × 3クール、そして チェック、
これを根気よく、ひたすら繰り返しました。

そんなことを繰り返している内、主に排卵期に、
卵巣がひどく痛くなるようになってしまいました。

どうやら排卵誘発剤の副作用?で、卵巣の皮が
厚くなってしまうことが あるようなのです。

その結果、排卵しようと卵巣に出来た卵胞が、どんどん大きくなる一方で破れない。
(排卵期に、この卵巣に出来た穴が大きくなって、直径12〜13ミリになると
ポン と破れて、排卵する。 …と聞いた)
しかも私は この卵胞の数が多い。 → どんどん卵巣が腫れて大きくなる。
という事になってしまったのです。

本当に歩けない位、痛いのです。痛くて体を伸ばすことも出来ません。
外から見ても、お腹の形が変わるくらいの腫れ様でした。

そしてカルテには、「多嚢胞性卵巣」という文字が加わっていました。


5年間、なかなか回復の兆しが見られず、こんな感じで婦人科通いを続けました。


・・・が、これ、
30歳過ぎて、5〜6年ぶりに彼氏が出来たら、
なんと、簡単に治っちゃいました。


こんなものですよね。(笑) 人の身体って。


でもー、
私が受けていたあれは、果たして、治療だったのだろうか?






つづく







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【北野祐子が出来るまで】
はじめに

2013.10.04 / Top↑
大失恋

25才の時、大失恋をしました。

傍から見たら、
大も小もあるか、ただの失恋だろっ
って思われるかもしれませんが、本人的には大失恋。

ひとりで身を焦がしていました。


ショックを受けると、本当に ササーッ って音がするんですね。
自分の血の気の引く音を、初めて聞きました。


口約束ではありましたが、「結婚しよう」と言っていた人に
別れを告げられ、その後、彼は海外赴任してしまいました。
別の女性と結婚して。


別れを告げられてから、彼が海外に行くまで期間はあったのですが、
バカな私はその間、彼が自分に戻ってくるのを待ってしまったん
ですねー。


そんなある日、夢に彼が出てきました。
夢の詳細は忘れましたが、何かピンとくるものがあった気がします。

すると翌日、たまたま(本当にたまたま。 、、だけど必然!)
帰りが一緒になった同僚の口から、彼が結婚して海外に行くことを
聞いてしまいました!

前の晩見た夢は、まさに虫の知らせだったのですね。

事情を何も知らず、私にこの話をした同僚はビックリしたでしょうね。
隣で飲み食いしてた私が、急に店の中で大泣きですから。(苦笑)
まるで、彼が私を泣かしたみたいな図になっちゃいました。
Eくん、ゴメンナサイ!



ささーっ、と書きましたが、そんな経験。
失恋は何度もあるけど、これは辛かったですねー。

その後、20代の良い時期だというのに、
5年も恋愛しませんでしたから。


つらかったけど、、、本当にかなりつらかったけど、

これも今となっては思い出だし、これで良かった。


こうなってくれたおかげで、私は今、幸せだもの。


もしもその時、彼と結婚していたら、今の私は無いし、
今の仕事をする事もなかったかも。


良い経験でした。 ありがとう。







つづく







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【北野祐子が出来るまで】
はじめに




2013.07.30 / Top↑
パワハラ

実は2010年の春から、職場でパワハラを受けていました。

当時の就業先で、派遣会社との窓口役および私たちへの
指揮命令者となっている社員(=上司)が、困った人でした。

ちょっとした気分で「あいつ気に入らねぇ!」となる人で、
当時私と一緒に働いていた、もう一人の派遣の女性も、3月末に
いきなり説明もなしに子会社(同じ部屋のパーティション隔てて
すぐ隣ですが)に、異動になりました。

上司にとって彼女は目障りだったらしく(過去に飲み会の席で
セクハラ的な接し方をし、彼女に無視されていた経緯があります)、
「この女クビにしてやれ」と派遣契約を切ったところ、
たまたま欠員のあった子会社側で拾われた、という事だったようです。

その経緯に憤慨していた私は、それを態度に出していたのですね。
すると今度は、私が「あの女気に入らねぇ!」「クビにしてやれ」の
対象になったようなのです。

しょうもない上司でしたが、私にとって本当に堪えたのは、
この上司ではありませんでした。


4月から、この上司が連れてきた、外部のシステムエンジニアの
男性がいたのですが、この人にコテンパンにやられました。

信じられないくらい陰険でした。

システムの事がわかるのは、私とその人だけなので、
私には誰が何をしたかわかるけれど、はたから見たら
私が良からぬ事をしたかのように見える、
システム的トラップをしかけられたり、朝礼の席で、
自分のミスを名指しで私になすりつけられたり、
じわじわと私の居場所がなくなるよう、追い詰められて行きました。


クビにしただけで十分じゃんか・・・
崖から突き落とした上に、更にとどめにグサグサしなくていいじゃんか・・・




大方忘れてしまいましたが、何で大の大人の男がこんな事をするのだろう?と、
毎日、信じられない思いでした。
やり場のない怒りと、今日は何をされるんだろう?という恐さで
いっぱいでした。

そしてとうとう、離脱症状も手伝って、
私は仕事に行けなくなりました。



この時のことは、ものすごく嫌な経験でした。

こんなに怒ったの初めてだったかもしれません。
最後はセンター長に、証拠と共に今までされた事をメールで送り、
職場を後にしました。



けれど私、今はこのエンジニアの男性に感謝しているのです。

本当ですよ。


当時は本当に本当に許せませんでしたし、
彼らを訴えることも考えました。

今でも好きにはなれませんが、
「よくぞあそこまでやってくれた!」って思ってます。


だって、この時、私は
ボディートーク の道へ、第一歩を踏み出す転機だったのです!

大きなチャンスです!


それまで会社勤めしかした事がなく、思いっきり現実的な世界でしか
生きて来たことのない私が、
今までと全く違うこと、それも全くの未知の世界へ進み出すなんて、
ものすごいエネルギーの要る事で、
余程のことがない限り、考えられない事でした。

その「余程のこと」が起こってくれたのです。

すべての感情には意味がありますが、怒りは
「前に進むための原動力」です。


ありがとう・・ 私をあそこまで怒らせてくれて。。
ありがとう・・絶妙なタイミングで私を派遣切りしてくれて。。

本当に感謝。


このような事がなければ、私は今でも漠然とした不安を感じながら
プログラマーの仕事をしながら、生きていたかもしれません。


なんてラッキーだったのでしょう・・!




私の言いたいこと、何と無く感じていただけるかしら・・?


今、辛い事の最中にいる方、

一見悪いことに思える事でも、
実はそれはチャンス なのかも!







つづく







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【北野祐子が出来るまで】
はじめに





2013.07.06 / Top↑
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