BodyTalkのことや日々のなんてことないことを綴ってみます。

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うつ Part 2 発症〜療養

うつと診断され、めでたく私は休職することができました。

2ヶ月間自宅療養をしたのですが、最初の1〜2週間はひたすら寝て過ごし、
その後、気分は落ち込んでいるものの、行動する元気は出てきたのでしょうね、1人で旅に出たりもしました。

この時初めて沖縄にも行きました。

友達の家に1週間ほど滞在させてもらい、友達が仕事に行っている昼間、
ひとりあてもなくバスに乗って出かけ、適当なところで降り、
海辺でさんぴん茶片手にボーッとして過ごしたものです。

実はうつになって、生まれて初めてものが食べられなくなり、
1〜2カ月でみるみる痩せていったのですが、この沖縄にくる前日も、
急性胃炎で眠れず、行きの飛行機の2時間半の記憶がないくらい
グッタリしていたのです。
しかし、沖縄に来て数日後、気づいたら油ものの食事を
普通に食べている自分がいました。 驚きました。

この沖縄滞在で、沖縄の癒しのパワーをひしひしと感じ、
これをきっかけに私の沖縄好きが始まりました。

お世話になった友人夫婦に感謝です。

さえちゃん、
見てないと思うけど、本当にありがとう。
私は本当に本当に感謝しているんだよーーー




そして春になり、2カ月間でそれなりに回復した私は、
無理をしない範囲で、職場復帰を果たすことになりました。

休職する前に参加していたプロジェクトはまだ終わっていませんでしたが、
私はそこのメンバーから外してもらい、自社の事業所内で、
小規模な開発の仕事を割り振ってもらい、割と平和な数ヶ月を過ごしました。


が、それも長くは続きませんでした。

夏が来る頃、新しいプロジェクトに配属されました。
復職の時、「残業等、無理はできません」と伝えたのですが、
当時の小規模なIT会社では、そんなの通用しませんでした。

また、ひたすら歯車(人間捨てて機械のように働く)の日々が始まりました。
0時前に家に帰ってきたことなんて、なかったんじゃないかなぁ・・・

今回は肉体的にもですが、精神的にキツイ仕事でした。


そして冬が来て、私は本当にこの先が不安になりました。
いつまで私の体は持つんだろう?このままでは再起不能になってしまう・・
体を壊してまで(すでに壊れてましたが)、SEを続ける自信はありませんでした。

そんな時、私の直感を後押ししてくれる、ちょっとしたきっかけもあり、
主治医にも、
「このままではあと2カ月くらいで、本当に働けなくなってしまいそうだ」
と、話したところ、「私もそう思います」と言われ、
もう無理をするのを止めることにしました。

そして12月末、会社を辞めました。

2年間のSE時代、終了です。


よくやったー!私!








つづく







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【北野祐子が出来るまで】
はじめに


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2013.06.29 / Top↑

さて、私の昔話シリーズは一休みして、
だーいぶ間が空いちゃいましたが、宮古島旅行記3日目 です。

旅の興奮も記憶も薄らいで来てはいるのですが、
この、この世のものとは思えないほど美しい海のことは、記録に残しておかないとね。


3日目。

朝ごはん。

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前日にcocoストアで仕入れてきたものね。
宮古島のコンビニはcocoストアが多い。


そして、外の天気は、

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晴れ! この3日間で1番快晴なり。
チェックアウトは12時なので、午前中にビーチで遊んでも、
部屋に戻ってお風呂に入る時間もあります。



さっそくビーチへ。

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中庭からビーチへ。 ポストカードみたいな景色だったので、撮ってみました。



限りなく透明に近いブルー・・・ この景色見て、癒されない人いないですよね!?

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ずーっと、ここに居たくなります。




楽園。

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後ろ髪ひかれながらも、
「また来るね」と、ビーチに挨拶し、ホテルを後にしました。


ランチに来たのは、「Taka's parlor」。 目の前は干潟の高台にある、絶景カフェです。

ここも今回初めて来たお店です。

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可愛いワンコが熱烈大歓迎してくれました♬ 甘噛みカプカプですよ。(笑)
ブランコもあります。
ここは夕日の絶景スポットでもあるらしく、夜は予約制で
サンセットディナーが頂けるそうです。素敵♡

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タコライスを頂き、のんびーりさせてもらいました。
スープのもずくも、しっかりしていて美味しかったよ。
沖縄のもずくはパワフルで良いね。

旦那は、チャーミングなママさんと写真の話をし、
島の素敵なスポットや惑星関係の事など教えてもらってエキサイトしてました。



その教えてもらった情報を元に、東平安名崎方面を目指してドライブする事に。♬

途中あちこち寄りましたが、

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↑ 島に数ある御嶽の中で、唯一?観光客でも入れる御嶽(他は勝手に入ってはいけません!)
ハリ水御嶽には猫がいっぱい暮らしていました。

ユートピアファームのマンゴーソフトはかなり美味しいです!
お土産にマンゴー買いました!・・と言っても、まだ収穫時期でないので、7月ごろ?
収穫されたら郵送、というスタイル。

そして、途中車を停めて撮った景色たち。



そして、教えてもらったスポットに到着。
東平安名崎を望む。。

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海の色きれいですね。。 断崖絶壁、ちと怖いけど。


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そうこうしているうちに、夕方になってきました。

帰りの飛行機は19時半すぎの直行便。
この飛行機だと、帰る日も丸々一日のんびり遊べて、とても時間が有効です。



レンタカーを返してしまう前に、残った時間で最後に来たのは来間島。
展望台からの景色。 島景色見納め。

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今年もこの島に来られて、この海を眺められて、幸せです。

宮古島さん、いつもありがとう。 何度来ても本当に良いところ。 大好き。

そして、連れて行ってくれた旦那様、本当にありがとう。




来年? 近いうちに、絶対また来るぞー! と誓いつつ、
この日の気温差10度、雨の降る東京に向かって、帰路についたのでした。


またねっ♡




2013.06.27 / Top↑
うつ part1 転職〜発症

今から10年程前、鬱になりました。
ちょっとそうなるまでの経緯を書いてみます。


30才の時、年齢的な節目というのもあり、
それまで勤めていた会社を思い切って辞めました。

すごくのんびりした会社で、同僚や上司も良い人ばかりの良い職場だったのですが、
ふと「このまま心地よいぬるま湯に浸かっていて良いのだろうか・・」と思い、
自ら荒波に飛び込むことにしたのです。

その会社は化学系メーカーだったのですが、短大で情報処理を専攻していたため
システム部に所属、プログラマーとして働いていたので、
伸ばせるスキルはその方面くらいしか考えられませんでした。

そして、IT企業に転職。システムエンジニアとして働き始めました。


予想はしていたのですが、その世界は思った以上にハードでした。
客先に常駐して働くスタイルだったのですが、私が配属されたプロジェクトはかなりハードで、
みんな、昼も夜も週末もほぼ関係なく働いていました。

私は週に1日、日曜日だけは休みを死守しましたが、
それ以外は自分の時間なんてないかのような生活でした。

その時、新しい会社に入ったばかりの私は、
最初の一年間は残業・休日出勤一切手当なし、有給もなし、という、今では法に触れそうな低待遇で働かされ、
そして慣れない仕事、けれど客先ではプロの顔、
また男性社会の中で働くことのストレスなどから、
モチベーションを感じる余裕もなく、日々、嫌々仕事をしていました。

そんなある夏の日、日曜日にスポーツクラブで髪の毛を乾かしている時、
鏡に写った自分を見て、頭に大きなハゲが出来ているのを発見しました。
ショックでした。泣きながらよろよろと家に帰ってきました。

皮膚科に行くと、塗り薬を処方されましたが、
自分でもストレスが原因なのはわかっていたので、
必要なのは皮膚科じゃない・・と思い、
思い切って「精神科」の扉を叩くことにしたのです。


この当時は、まだ今ほど「うつ」とか「心療内科」という言葉が
世間で聞かれない時代で、インターネットで近くの病院を検索しても、
あまり多くの病院はhitしなかった時代でした。


その中で私が見つけて行ったのは、隣の市にある割りと大きな病院でした。
そこは「山の中にある」といった感じの、入院施設もある、
まさに「精神病院」といったところでした。

正直、こういうところに来たのは初めてでしたし、
「私、大げさなところに来ちゃった?たかがハゲで。」なんて、思いました。


が、後に、これは大正解であったことを知ります。


****************************

* 精神科・心療内科の類を受診すること考えてる方、
* 絶対に、専門の医療機関にかかることをおすすめします!
* それくらい、精神医療の薬は危険だと思っています!

****************************


そして、そこで処方された数日分の精神安定剤を飲み、
皮膚科の塗り薬を塗ってみつつ、、、
そして、何と私は自分のハゲを武器にして、自社の社長に直談判しに行ったのです。

「頭がこんなになっちまった!
あのひどいプロジェクトで、せめてもの救いになるのは金だけだ、なので金をくれ!」と。
↑ 言葉はこの通りではありませんが。(笑)

すると、言ってみるもんですね。
なんと社長、ほぼ二つ返事で「ok!」と。(笑)

そして翌月から残業代も休日出勤手当も普通にもらえるようになり、
馬鹿らしさからある程度解放され、私のハゲは徐々に良くなっていきました。

そして相変わらず仕事はキツイものの、ひとまず私の精神状態も落ち着いたか・・と思ったのですが、、、
お金でモチベーションが回復したのは、つかの間の事でした。



秋になり、仕事のスケジュールは益々キツくなり、
出口の見えない状況の中で、マネージャーからは精神的に鞭を打たれ、
私は自分で自分の体にムチを打つ、そんな日々を送っていました。

毎日家に帰るのは深夜、まともな食事を取れたこともありませんし、
TVを見る時間もなく、世間で何が起こっているのかもわからず、
家に帰れず、コートを着て職場のイスで仮眠、なんてこともありました。

女なんかとっくに捨て去り、そのうち人間であることも忘れました。

この頃には、言いたいことは、
「金なんか要らんから普通の生活をくれ!」に変わっていました。


これが、まだ・・・ 家に帰れば、温かい食事と暖かい家族が待っていて・・
なんて癒しがあれば、かなり救われたでしょうね。。。


でも、当時の私はひとり暮らし。

しかも当時の恋人は、癒しの存在ではなく、私にとってストレッサーでした。
週に一度死守していた日曜日のお休みも、あまりhappyなものではありませんでした。

そして更にそんな状況に追い打ちをかけるように、ストーカーにまで遭うようになってしまいました。


そのことについては、少し前から変だな、とは思っていたのですが・・

例えば、夜中の12時に中庭におじさんがこっちを向いて立っている
(これから出かけるような時間ではありませんし、出かける風ではありませんでした)とか、
仕事に行く前に私がゴミを出すのを待ち受けていて、私のゴミを持って行ってしまう、とか、

変だなとは思っていたのですが、あまりに余裕がなく、
気にすることが出来なかったのです。
「気のせい」として自分の中で片付けていました。

が、ある晩、怖い事が起こり、本気で震え上がりました。

職場では疲れ果て、休まるハズの家にはガタガタ震えながら帰る、
そして恋人はストレッサー(苦笑)。


クリスマス前のある日、とうとう倒れました。
仕事中に過呼吸を起こし、救急車で運ばれたのです。

近くの病院で点滴を受け、その時はその日のうちに家に帰ってきましたが、
その後数日経過しても、どうも調子がおかしいので、夏に受診した精神科にまた行くことにしました。

すると、
今の状況だとまた発作を起こしかねない、と言われ、
前回と同じ精神安定剤を1月分処方されました。

しかし薬を飲んでも、日々どんどんおかしくなるのです。

「悲しい」と「怒り」以外の感情がなくなりました。
よく知っているところなのに、道順がよくわからなくなりました。
アップテンポの音楽が聞けなくなりました。
そして人の言っていることがわからなくなりました。

これでは仕事になりません。
このことを主治医に話しました。

見るからに私の雰囲気はおかしかったのでしょうね、
「これを職場に提出するように」と、その場で診断書を渡されました。

そこには 「うつ病。自宅療養を要す。」 と書かれていました。

こうして私は鬱になりました。







つづく







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【北野祐子が出来るまで】
はじめに
2013.06.27 / Top↑
子供時代〜


私は、両親と弟が1人のはたから見たらごく普通の、4人家族の中で育ちました。

子供の頃から、自分は変わっているという、自覚はありました。
何か違うんです、他の子供と。 感覚とか、動きとか・・
足の関節もひとつ足りなかったりします。

実の弟からも「普通のお姉ちゃんと違うよ!変だよ!」と言われましたし、学校でも周りの子から見て、私はエキセントリックだったようです。

物心つく前も、他の子供達と一緒にいても輪の中には入って行かず、
「しょうがないからここにいる」という感じに、一歩下がってみんなを眺めている、そんな子供だったようです。(祖母談)


小学校に通うようになると、周りからはよくからかわれました。
喋れば「宇宙人」走れば「ロボット」と言われ、物を隠されたり取られたり、目があっただけで男の子からぶたれる、なんてこともありました。(笑)

学校には普通に登校していましたが、何か馴染めず、いつもぎこちなかったです。
勉強も苦手な科目は苦手で、先生にも「なんでわからないの、このバカ!」(←国語の問題)
とか言われて、頭を叩かれましたねぇ。(笑)


うちに帰ってもいつも違和感というか、、苦痛を感じることがありましたので、
今思えば居心地の良いところって、ほとんど無かったように思います。


高校生になると、心身のバランスを崩すようになりました。

心臓が急に爆走したり、ひどい眩暈で平衡感覚がおかしく、椅子にも座っていられず授業も聞けなくなってきました。

病院で検査しても、どこも異常はなく、
当時は「悪霊につかれた?」なんて思ったものです。




もちろん楽しいことも沢山ありましたが、
そんな生きにくい感満載で幕を開けた、私の人生でした。


つづく



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【北野祐子が出来るまで】
はじめに








2013.06.26 / Top↑
はじめに



今までずっと、ネガティブなことは書いちゃいけないと思っていました。
ネガティブというのは、自分の体験も含めて。
辛かった過去の出来事など書いても、誰もおもしろくなかろう、と。


そんなわけでずっと、書き控えてきましたが、
先日受けたハーモニックチャートの鑑定をきっかけに、私の経験を発信することが、
世の中の同じような経験の真っ只中にいる人たちにとって、前に進む為の手助けになるならば、
書いても良いんじゃないか?と思うようになりました。



自分だけが特別ではないと思いますが、
私には、今まで生きてきて、辛い出来事もありました。
何で私にはこういうことばかり起こるんだろう?と思ったこともあります。


その時には、その意味など考えてみる余裕もありませんでしたが、
今になってみると、
どんなに辛かった出来事も、全て、今の私に繋がる大切な出来事たちです。



どんな出来事でも、そこから学ぶこと、もしくは後に繋がる何かがあります。


無意味な事なんて、何ひとつ無いのです!


もし今、何かの葛藤の最中にいるという人、

その事に気づく事が、葛藤をスムーズに乗り切れることにつながるようですよ。



・・そういうことを伝えたくて、私の経験たち、シェアしてみます。

2013.06.25 / Top↑
来月 7/8(月)〜17(水) 、お休みをいただきます。

この間、お問い合わせにも返信することが出来ないのですが、
メール等いただけましたら、18日以降に対応させて頂きます。


何卒よろしくお願いいたします。
2013.06.21 / Top↑


パソコンが瀕死の状態なんです!


ブルースクリーンならぬ、レッドスクリーンです(−_−;)



もう6年位使ってるからなー
しょうがないかー

でも困るー(>_<)


とりあえず大事なデータはクラウド上にバックアップ・・!

2013.06.12 / Top↑
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