BodyTalkのことや日々のなんてことないことを綴ってみます。

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一昨日の夜の風雨で、都内の紅葉もだいぶ散ってしまったかしら。。


先日、記念日だったのもあり、紅葉を見に出かけてきました。

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行き先は千葉県君津市の亀山湖。

ここはまだ、紅葉の見頃まであと少しな感じでした。

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それにしても混んでた〜!
祝日だったこともあるのでしょうね。 前に行った時には、道を歩いていても
人にあまり会わなかったのに、観光バスもバンバン来てました。



最近あまり外食してなかったけど、夜は市川付近でイタリアン。

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気がつけば、結婚記念日も3回目。

感謝することを忘れずにいたいなと思う、今日この頃です。

ありがとうございます。 to 旦那





♬♬♬

今日から大阪で、ボディートークの「上級統合」のセミナーが始まりましたね!
私は一度申し込んだものの、泣く泣くキャンセルしてしまいましたが、、
日本で初めて開催されるコースだし、超 行きたかったなぁぁ〜〜〜!!

最近ボディートークの集まりに全然行けてません。
仲間のCBPの皆さん、私の事忘れないでね〜(T_T)
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2013.11.27 / Top↑
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これは今年の夏、出張帰りに旦那が、飛行機の中から撮った写真です。


ふと、窓の外を見たら、こうなっていたんだって。


ミラクルみたいな写真でしょう?


自分の乗っている飛行機の影が雲に写り、その回りを虹が囲っているという!!


オーマイガー



実はこの写真撮った時、まさにこれから
色々なことが起きようとしている時期でした。



虹は変容のサインだそう。

旦那は変容のトンネルを潜って帰ってきたのだねー



でもこんなミラクルな光景、宇宙からのメッセージ、
見守られている事を感じ、すごくパワーもらえます!



だから大丈夫。絶対大丈夫!!



ここでこの写真を見つけたあなたも絶対大丈夫だね‼


ありがとうございます。
2013.11.20 / Top↑
父の生命力には天晴れなのだ。


何度かここにも書いてきた父の容体が、先月の中旬、急変した。
救急車で病院に運ばれ、私たち家族も病院に呼ばれた。

正直、その時、翌朝まで持つと思わなかった。

先生から受けた説明は、相当シビアで、あちこち八方塞がり。

私も覚悟をせざるを得なかった。



それが、不思議と(まさに不思議なくらいなのだ)
容体安定 →小康状態 →徐々に体力回復、となり、
まだ問題は山積しているものの、
現在は退院に向けて、リハビリをする日々を送っている。


詳細は特に書きませんが、いろいろ不思議です。


先生もいろいろ不思議に思うところがある様子で、
特に病院に担ぎ込まれた当初、「普通はこの状態だと危篤なんですけど…」
なんて言って、首をひねっていた。



娘の私はボディートーカーなので、
もちろんボディートークのセッションもしている。

しかし、ボディートークといえど、人の死期まで変えられるものではない。

父の生命力の強さに天晴れです。



**

ボディートークで死期まで変えられないと書いたけど、
ボディートークは、いかに それまでの日をより良く生きるか、 のサポートをする事が出来ます。

なので、
私は、父がなるべく笑っていられるよう、セッションをし続けようと思います。


今のところ、父は病院食もモリモリ食べて、ニコニコのほほん としてますよ(*^_^*)



***


あ! ひとつだけ、これはボディートーク効果? ってこと書かせて!


先生も不思議がった、父が危篤状態にならなかった件、

その時、低過ぎて上も計測不可能だった血圧、(50以下)
血中の酸素濃度も乏しく、この状態だと、普通は意識がなくなるそうで…


この時、私、
ICUで、人目も憚らず、ずっと大脳皮質してました。

父の意識がしっかりしていたのは、きっと『大脳皮質』効果だよね!?


2013.11.14 / Top↑
神楽坂のフォトグラファー 関健一さんと、着物でお散歩撮影しました。


素人が着慣れない着物を着るのは、ホント大変なのですが、
頑張って着たのに、土砂降りに遭ってしまった。(~_~;)

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雨が止むのを待ってから帰って来ました。


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人気のカフェも雨でみんな帰って行き、ガラガラですね。(⌒-⌒; )


雨の降る前と後とで、気温はぐっと下がりました。 寒くなりましたね!

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2013.11.11 / Top↑
26歳のある秋の日、会社で仕事中に 総務部から私宛の外線電話が転送されてきました。

埼玉県の郊外にある病院のICUからでした。

父が高所から落ちて、救急車で運ばれた。全身を打って、
体が動かない。直ぐに病院にきて欲しい。
という連絡でした。
輸血や手術をするのに、家族の同意書が必要なのです。

病院の住所を聞き、メモを取り、すぐに駆けつけることにしました。
メモを取る手が震えました。

父は当時61歳、定年退職後、埼玉県飯能市の工場に単身赴任をし
働いていたのですが、
この日は、何か調子の悪いタンクの様子を見ようと、
設置されている高さ6mの梯子に登ったところ、その梯子がタンクから
ポロリと剥がれ、コンクリートの地面に落下してしまったのです。
幸いヘルメットを被っていたので、頭は打たずに済んだのですが、
脊椎6番を骨折し、折れた骨が脊髄に刺さり神経を遮断する状態に
なってしまいました。

この日は母も家を留守にしており、私の勤務先を父から聞いていた
父の会社の人の記憶を頼りに、私の勤務先へ連絡が入ったのでした。

どんなに気持ちが急いでも、都内から埼玉県の郊外まで
電車を乗り継ぐこと数時間。
これが何かの間違いであって欲しいと願いながら、病院に向かいました。


***

実は時を遡ること、さらに7年前、弟がバイト帰りの深夜に、
交通事故で大怪我をしました。
救急車で運ばれた先の病院に駆けつけると、弟の左腕は動かず、
痛みにうなされていました。
そしてその翌日、どうやら思ったより状態は深刻そうだという事で、
大きな病院で検査をし、その結果、弟の腕はもう元に戻らないことを
知りました。
左腕の神経が、頸椎6番から切れて抜けてしまっていたのです。

私の20歳の誕生日の事でした。

その後、弟は数年に渡り入退院を繰り返す生活をしていましたが、
父が怪我をしたこの日も、弟は何度目かの手術の為入院中でした。

***


埼玉の病院に着くと、医師からレントゲン写真と共に、怪我の状態の
説明がありました。
折れた骨が杭のように脊椎に突き刺さっていました。

もうこれは治すことができない、胸から下は動かない感覚もない、
これから緊急手術、そしてリハビリ、退院後は車椅子の生活を
余儀なくされることを説明されました。


・・・一気に受け止め切れませんでした。


手術室に入る前の父と面会すると、
「お〜ぅ、仕事中だったろ?悪いな!
今、体が動かんのだよ、これから手術してもらうな!
車イスになったら嫌だもんな。」
と、ニコニコしながら言いました。
まだ自分がそんなに大変な怪我をしたと思っていないのです。
・・泣けました。

手術が終わったのは深夜。12時間以上に渡る大手術でした。


本当に怖かったです。

何でうちの家ばかり、こんなことが起きてしまうのかって。
何で4人家族のうちの2人が、同じような怪我をして身体障害者に
なってしまうのかって。


それから数ヶ月に渡りリハビリ、そしてリハビリの病院に転院し、
また数ヶ月のリハビリ、
その間に実家はエレベーター付きのバリアフリーの家に建て替え、
翌年の秋に、父は家に帰ってきました。


時間はかかりましたが、その間に 父本人も、家族も、少しずつ
状況を受け入れていきました。

そうなってしまったものは変えられない、悲しんでいても
仕方が無い、 それを受け入れて暮らして行く。

人間って結構強いものですね。

怪我をした当初はそんな事考えられなかったのですが、
のんびりとした穏やかな生活が始まりました。



つづく







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【北野祐子が出来るまで】
はじめに


2013.11.02 / Top↑
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