BodyTalkのことや日々のなんてことないことを綴ってみます。

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26歳のある秋の日、会社で仕事中に 総務部から私宛の外線電話が転送されてきました。

埼玉県の郊外にある病院のICUからでした。

父が高所から落ちて、救急車で運ばれた。全身を打って、
体が動かない。直ぐに病院にきて欲しい。
という連絡でした。
輸血や手術をするのに、家族の同意書が必要なのです。

病院の住所を聞き、メモを取り、すぐに駆けつけることにしました。
メモを取る手が震えました。

父は当時61歳、定年退職後、埼玉県飯能市の工場に単身赴任をし
働いていたのですが、
この日は、何か調子の悪いタンクの様子を見ようと、
設置されている高さ6mの梯子に登ったところ、その梯子がタンクから
ポロリと剥がれ、コンクリートの地面に落下してしまったのです。
幸いヘルメットを被っていたので、頭は打たずに済んだのですが、
脊椎6番を骨折し、折れた骨が脊髄に刺さり神経を遮断する状態に
なってしまいました。

この日は母も家を留守にしており、私の勤務先を父から聞いていた
父の会社の人の記憶を頼りに、私の勤務先へ連絡が入ったのでした。

どんなに気持ちが急いでも、都内から埼玉県の郊外まで
電車を乗り継ぐこと数時間。
これが何かの間違いであって欲しいと願いながら、病院に向かいました。


***

実は時を遡ること、さらに7年前、弟がバイト帰りの深夜に、
交通事故で大怪我をしました。
救急車で運ばれた先の病院に駆けつけると、弟の左腕は動かず、
痛みにうなされていました。
そしてその翌日、どうやら思ったより状態は深刻そうだという事で、
大きな病院で検査をし、その結果、弟の腕はもう元に戻らないことを
知りました。
左腕の神経が、頸椎6番から切れて抜けてしまっていたのです。

私の20歳の誕生日の事でした。

その後、弟は数年に渡り入退院を繰り返す生活をしていましたが、
父が怪我をしたこの日も、弟は何度目かの手術の為入院中でした。

***


埼玉の病院に着くと、医師からレントゲン写真と共に、怪我の状態の
説明がありました。
折れた骨が杭のように脊椎に突き刺さっていました。

もうこれは治すことができない、胸から下は動かない感覚もない、
これから緊急手術、そしてリハビリ、退院後は車椅子の生活を
余儀なくされることを説明されました。


・・・一気に受け止め切れませんでした。


手術室に入る前の父と面会すると、
「お〜ぅ、仕事中だったろ?悪いな!
今、体が動かんのだよ、これから手術してもらうな!
車イスになったら嫌だもんな。」
と、ニコニコしながら言いました。
まだ自分がそんなに大変な怪我をしたと思っていないのです。
・・泣けました。

手術が終わったのは深夜。12時間以上に渡る大手術でした。


本当に怖かったです。

何でうちの家ばかり、こんなことが起きてしまうのかって。
何で4人家族のうちの2人が、同じような怪我をして身体障害者に
なってしまうのかって。


それから数ヶ月に渡りリハビリ、そしてリハビリの病院に転院し、
また数ヶ月のリハビリ、
その間に実家はエレベーター付きのバリアフリーの家に建て替え、
翌年の秋に、父は家に帰ってきました。


時間はかかりましたが、その間に 父本人も、家族も、少しずつ
状況を受け入れていきました。

そうなってしまったものは変えられない、悲しんでいても
仕方が無い、 それを受け入れて暮らして行く。

人間って結構強いものですね。

怪我をした当初はそんな事考えられなかったのですが、
のんびりとした穏やかな生活が始まりました。



つづく







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【北野祐子が出来るまで】
はじめに


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2013.11.02 / Top↑
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